オッペンハイマーは2024年のアカデミー賞で7冠に輝いた作品で有名ですね。
この映画の特徴的なことは、原爆の父と言われたオッペンハイマーの原爆の成果ではなく、作ったことへの後悔を色濃く映し出された作品になっていることです。
以前のアメリカは、日本に原爆を落としたことに対して、日本の真珠湾への先制攻撃を持ち出して自分たちの正当性を主張してきました。
また原爆を使うことによって、戦争を早く終わらせたと主張する人も存在しています。
しかしこの映画自体は、少なくとも原爆を正当化するような内容にはなっていないので、世界的にも原爆を作ることへの懸念や恐怖というものが認識されてきているのかなと感じました。
オッペンハイマーは原発を開発しておきながらなぜ後悔したのか?
ここではオッペンハイマーの原発開発の経緯と後悔にについて紹介します。
オッペンハイマーは広島と長崎にに原爆が使われたことを知り、その被害を推測できる者として後悔をしていたようです。
しかしアメリカ国民は、日本を降伏させた者として盛大に祝福しました。
当時は原爆の父と言われながらも、大統領トルーマンとの面会ではこれから原爆の開発を促進しようとする大統領に、抑止を促し嫌われてしまいます。
そのようにオッペンハイマーは政府の意にそぐわない言動をしていたためか、以前に共産党員とのつながりを指摘され、オッペンハイマー自身も共産党員としての疑いをもたれます。
その疑いが晴れるまで何回も保安公聴会に呼びだされ問い詰められています。
映画ではオッペンハイマーが糾弾されていかにも気の毒だと思わんばかりの映像でした。
しかし、日本人としてはオッペンハイマーの葛藤に対して、共感できるでしょうか?
広島と長崎で20万人以上が一瞬にして焦土と化し、原爆病で長年苦しんだ人も数知れません。
私は、そのような悪魔の兵器を生み出したオッペンハイマーに対しては、共感はしていません。
日本人としてはとても複雑な感情を持っている人も多いのではないかと思います。
以前オッペンハイマーが日本に来て、被爆者に謝罪したと言っていましたが、これはいくら涙を流して謝ってもそれで済む問題ではないと思っています。
この映画に関しては、オッペンハイマーの苦悩だけでなく、実際に原爆を受けた国の苦悩も映し出してほしいと思いました。
映画では日本で実際に被害を受けた映像は流れていません。
そのため、この映画を観た日本人以外の人は、本当の意味での原爆の悲惨さが伝えきれていないと思っています。
後悔するならなぜ止められなかったのか?
オッペンハイマー自身、核が使用されたあとは深い後悔をしたと言われています。
実験が成功した後、この核が使用された場合の甚大な被害がでることが解っていながらなぜとめられなかったのでしょうか?
それはこの当時のアメリカは特にドイツの核開発に対して脅威をもっていたようです。
オッペンハイマー自身も核の脅威を懸念しながらも、先にナチスに開発された場合のアメリカへのリスクを鑑みて、開発を急いだという経緯があると映画でも紹介されていました。
私は、たとえオッペンハイマーがこの開発を降りたとしても、代わりとなる別の化学者が開発に携わるので、結局は核は開発されると考えられます。
結局は核はドイツには使用されず、日本へ2発使われました。
それを決定したのが、当時の大統領トルーマンでありますが、「戦争を終わらせた大統領」として歴史に名を刻んでいます。
そしてオッペンハイマーは「原爆の父」と呼ばれるようになりました。
アメリカでは英雄のような扱いでありますが、私のような日本人にとってはとても複雑な心境になります。
まとめ
今回は映画の「オッペンハイマー」について紹介しました。
以前のアメリカならば、もっとオッペンハイマーを賞賛し、成果をあげたことを称えるような映画にしたかもしれません。
しかし、この映画の「オッペンハイマー」は核爆弾を作ったことへの心の葛藤を前面に作成された分、アメリカ人の意識も変わってきた感が伺えます。
しかし、実際に核を使われたあとの凄惨さが省かれていたため、本当の恐ろしさはまだまだ伝えきれていない印象があります。
そして当のオッペンハイマーは反省し、核の使用を抑止するように働きかけていますが、結局人体への多大な影響について公表はしていません。
そして繰り返しにはなりますが、オッペンハイマーが後悔しているならば、核が使われた場合の凄惨さをもっと世界に発信し、そして核の開発を抑止するように努めることが本当の意味での謝罪だと思っています。
みなさんはどうお考えでしょうか?
今日はここまでです。ではまた・・


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