「時には懺悔を」を見てきました。
タイトル通りとても重たい内容でした。
私自身も障がい者施設で働いているので、この映画で演じられた家族を見て、実際に障がいを持つ子供に対しての家族の葛藤がリンクして、痛いほどリアリティに表現されているので胸が痛いほどでした。
「時には懺悔を」 障がい児を持つ親の心境を考察
この映画では障がい児を産んだ側の家族の葛藤と障がい児を育てる側の家族の想いの両面が描かれています。
ここではお互いの立場で心理に迫ってみたいと思います。
民江から見る障がい児を産んだ時の家族の葛藤とは?
せっかく産んだ自分の子が障がいを持って生まれてきたことがわかると、喜びとは逆に親は愕然とするのではないかと思われます。
それは今後その障がい児が生きているかぎり一生介護をしなけれないので、その大変な苦労を考えると深い絶望に最悩まれます。
この映画で障がいを持つ新ちゃんの産みの親である尋津民恵(黒木華)は、病院で新ちゃんを誘拐されて驚いていましたが、その後はどうしても取り戻したいという素振りは見せませんでした。
その心理は、自分の子供として気になってはいますが、今後世話で苦労をしなくていいと思うとどこかほっとしてしまう自分があるからだと思われます。
しかしそれが本音だとしても、そんな素振りをみせれば軽蔑されることもあり、親としてとても複雑な心境をもつことになります。
そして自分が産んだ障がいを持った子に対して、親としてどのように愛情をもって接すればいいか悩み、そこには大変な葛藤が存在すると思われます。
私自身も働いている障がい者施設では、家族との会話ででてくるのが、「こんな子に産んでしまって」という子供に対しての申しわけなさと、自分の不幸な境遇を憂いている複雑な心境をよく聞きます。
この映画は、そんな障がい児をもつ親のリアルな葛藤がとてもよく表現されていて、特に実際に経験されている家族には胸に突き刺さるような内容だったのではないでしょうか。
哲夫から見る障がい児を育てる親の心理は?
新ちゃんは子供が欲しかった明野夫婦に、障がいがあるとは知らずに誘拐されてしまいました。
しかし明野哲夫(宮藤官九郎)が妻が亡くなった後も、一人で新ちゃんを愛情を持って介護していました。
夫婦は誘拐した子が障がいを持っていることにびっくりしましたが、哲夫は結局10年間、2時間おきに体位変換をするなど含めて賢明な介護をしました。
なぜ血が繋がっていない障がいの子にそこまでできたのでしょうか?
そしてそこにはどんな心理が働いたのでしょうか?
障がいを持っている子は当然体は弱く、ちょっとのことで熱がでたり、吐いたりして病院がかかせず気が抜けないことが多いです。
そう思うと、傍から見たら耐えられないと思うかもしれません。
しかし、そんな大変ななかでも、障がいをもってる子なりに一生懸命体を動かしたり、こちらを向いて笑ったりして愛情を返そうとすることがあります。
それがとてつもなくかわいくていとおしく思えることが、多くの親が報われた思う瞬間ではないかと思われます。
新ちゃんは朝起きてから夜寝るまでひたすら介護が必要な障がい児です。
言葉がしゃべれないので意思疎通が難しく、病気になっても泣いていても理解できず、ひたすら苦労しっぱなしになります。
時には介護がいやになることもあると思われます。
私自身障がい者施設で働いていて、障がい児をもつ親御さんからの話を聞きますが、確かに年がら年中介護をすることは心身ともに疲弊はしますが、時に見せる障がい児のふと見せる笑顔や、満足そうな顔で答えてくれる素振りで一瞬心が通じ合ったと感じたときは、とても愛おしくなると言っていました。
だからこそ、愛情を持って育てている親は、苦労しながらも介護が続けられるのではないかと思っています。
「時には懺悔を」考察 |障がい児が直面する避けることのできない問題とは?
障がい児の直面する問題として、一番問題なのが親がいなくなった場合どうするかということです。
障がい児はもちろん誰かが面倒を見る必要があります。
親が元気なうちはいいですが、病気になったり、あるいは亡くなったりした場合、障がい児をどうするのかという大きな問題が生じます。
今回の映画でもそれとは違うシチュエーションでしたが、親がいなくなる問題に直面し、警察もどうしたらいいんだと身動きが取れない状況を表現されていました。
今回は運よく産みの親の覚悟で、新ちゃんを引き取ってくれましたが、現実にはうまくいかないケースもあるかもしれません。
障がい児を持つ親もいつか高齢になりますし、介護することが難しくなることも考えられます。
世間的にこのあたりをもっと問題視するべきではないかなと説に思います。
障がい児を持つ親の心理がリアリティに描かれた要因は?
作者が実際に障がい児を育てている経験
この映画では、障がい児を取り巻く関係者の心理をとても丁寧に、かつリアリティを持って表現されています。
その要因について述べていきます。
この「時には懺悔を」の原作は打海文三の小説です。
今は亡くなられていますが、この打海文三自身も自分の子供が患児だったと言われています。
その体験からこのようなリアリティのある物語を作れたのだと思いました。
そしてこの作品が中島哲也監督ににより映像化されましたが、中島監督自身も身内に障がい児をもっていたということなので、その経験からこのような新ちゃんの産みの親、育ての親両面からの心の葛藤を、リアリテイをもって見事に描かれているのも納得できます。
中島監督の卓越した映像技術で介護のリアリティを表現
中島監督の特徴といえば、視聴者を引きこむ卓越した映像技術があります。
今回の「時には懺悔を」では「告白」や「来る」とは違った視点の映像で、この映画の重々しさを表現されていました。
この映画では絶えず、なんとなく周りを暗くしているような視覚効果で、介護の大変さやリアリティを醸し出していました。
すばらしい映像技術だったと思います。
まとめ
この「時には懺悔」では、初めて本当の障がい児を配役にあてて、映画化が難しいと言われていていたことが可能になりました。
作者や監督も同じような境遇であったこともあり、障がい児に向き合う家族の葛藤がとてもリアリティに描かれていました。
この作品は特に、障がい児を持つ親御さんやまた関係者にとって、とても心に刺さるものになったのではないかと思います。
時には懺悔をの別記事もご覧ください

きょうはここまでです。ではまた

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