「名無し」漫画と映画の山田太郎の違いは? そして太郎の子供の性格を検証

ヒューマンドラマ

名無し」は原作と脚本で、佐藤二朗が手掛けているのはもうご存じの通りですね。

それを永田諒の手によって漫画にされました。

全部で3巻になります。

そして映画では佐藤二朗自らが主演で、城定秀夫がメガホンをとっています。

「名無し」の山田太郎とは何者?

山田太郎はもともと名前がありません。

この名前も以前、少年時代に保護した警察がつけたものでした。

太郎は当時から、洞穴で同年代の女性と暮らしていました。

この女性にも花子と名付けたのもこの警官です。

そして太郎は理由はわかりませんが、生まれたときから右手で触ったものが消せる、また生き物に触ると命を奪うことができる能力がありました。

「名無し」の山田太郎と「爆弾」のスズキタゴサクとの役柄の違い

この「名無し」の役柄を見て、一瞬「爆弾」のスズキタゴサクにかぶるのかなと思いましたが、全く違う者として演技されています。

山田太郎は、世間から受け入れられないどうしようもない寂しさから、無差別殺人に走りました。

世間に対して自暴自棄になってしまった心の葛藤を、言葉がしゃべれないながらも見事に演じ切っています。

ちなみにこの「山田太郎」の名前の由来は、昔の野球漫画で「ドカベン」の強打者からとっています。

そして原作では同棲していた女性は「里中さと子」であったので、これは「ドカベン」の中でのエースピッチャーの里中からとっています。

しかし、映画では「山田花子」(MEGUMI)に変更されています。

おそらく著作権の問題かなと思いました。

一方、「爆弾」のスズキタゴサクは、真の理由はまだ定かではありませんが、明らかに世間へ挑戦していて、そのために話術で周りを翻弄する知能犯としての役柄でした。

よって、演じ方が全然違うので両者がかぶるようなイメージはありませんでした。

「漫画」と「映画」の山田太郎の違いは?

ストーリーはほぼ漫画通りに展開しています。

しかし、永田諒が描いた漫画と、映画で佐藤二朗が演じた山田太郎は相違があります。

漫画の山田太郎は言葉に不自由さが感じられず、よくしゃべります。

逆に映画での山田太郎は、言葉がほぼしゃべれず、やっとのことで話せた言葉が、空を見ながら「神様、暇ならばこの右手をつないでくれ」だけでした。

おそらくですが、佐藤二朗もよくしゃべるキャラクターを演じてしまうと「爆弾」のスズキタゴサクとキャラが被ってしまうことを嫌ったんではないかと思います。

山田太郎と息子との性格の違いは?

花子は妊娠し、臨月を迎えましたが一度太郎から逃げて失踪しました。

そして10年後に町で偶然再会したときは、太郎に「子供はおろした」と嘘をつきます。

太郎は逆上して、花子を殺してしまいます。

そして世間との繋がりに絶望した太郎は、無差別に殺人を繰り返していきます。

最終的にターゲットに選んだのが、児童養護施設のひいらぎでした。

その施設で、太郎はそこでも大量に殺人を繰り返します。

しかしそこで、少年のころの自分そっくりな人間にばったり会います。

そのとき太郎は瞬時に自分の子供だと認識しました。

現場で警察に確保された太郎にその子供が近づきます。

そして太郎から右手を伸ばすと、少年も右手を伸ばしつなぎます。

すると太郎は目から血が出て命が潰えました。

すなわちお互い右手をつなぎましたが、少年の圧倒的パワーで太郎をねじ伏せたことになります。

少年は自ら親を殺したことに対して動じることなく、最後は天に向かって唾を吐きます。

この仕草から本当のサイコパスはこの少年の方だと伺い知れます。

太郎は空の絵を描くときはいつも真っ黒でした。

それは冷たい世の中に対しての、絶望と憎しみが込められています。

そして天に向かっては、かたことで「右手をつないでくれ」と懇願をします。

これはこんな右腕をもってしまった神様に対しての恨みでもあり、やり場のない怒りの慟哭でした。

つまり太郎は無差別殺人を起こす前は正常な思考の持ち主だったのです。

しかし、この子供にはそんな感情は最初からもっていません。

それは右手をつないで親を平然と殺し、またその直後、天に向かって唾を吐いたことで、神に対してさえ対抗しようとする神経の持ち主であることが伺えます。

この少年は、太郎のような繊細な感情が欠落した本当の意味での怪物だと思われます。

まとめ

今回は佐藤二朗が手掛けた「名無し」について紹介しました。

漫画は3巻で終了しましたが、自分としては、山田太郎の子供が成長した物語も是非見たいなと思いました。

みなさんはいかがでしょうか?

今日はここまでです。ではまた。

 

 

 

 

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