この物語は、木挽町の芝居小屋の前で、菊之助が父親の仇として、作兵衛を打つ話からはじまります。
派手に遊んでいるやくざ風情の作兵衛は、女装に扮している菊之助にちょっかいをかけようとしたところ、女装を脱ぎ捨て、菊之助が父親の仇と表し、作兵衛の首を切り落としました。
それは見事な仇討ちとして、木挽町界隈で噂になります。
しかしそれは、悲しい運命を背負う家族と家人の命がけの演技でありました。
なぜ演技をしなければならなかったのか?
それは菊之助家族の深い事情がありました。
仇討ちに隠された真実とは?
菊之助は、ある日突然父親から、「菊之助を切る」と言って襲い掛かってきます。
菊之助がいよいよ切られそうになった瞬間、作兵衛が菊之助を庇い、父親ともみ合ったときに、作兵衛が父親を殺してしまいました。
作兵衛は捕らえられそうになりましたが、、菊之助が思わず逃がしてしまいました。
父親の突然の乱心に、菊之助は混乱します。
当然の成り行きで、叔父から菊之助に父親の仇を討つように命じられます。
菊之助は江戸に出立し、作兵衛を追いかけます。
木挽町でみすぼらしい恰好をした作兵衛に会いますが、菊之助は恩がある作兵衛に仇討ちをすることができません。
そこで作兵衛は菊之助の前で、なぜご乱心になったのか、父親の本当の真意を話します。
父親の命をかけた家族愛とは?
作兵衛の話では、父親の仕事は、江戸からの使者を接待する役目を負っていましたが、その時に使われていた帳簿を調べたところ、支度金つまり賄賂がご家老の元へ流れていることを掴んでしまったということです。
しかし、真実を知られたご家老は、父親にも賄賂を掴ませて共犯にしようとしましたが、父親はそれをきっぱり断ります。
それどころか身内の叔父も賄賂に加担していて、父親を共犯に引き込もうとします。
父親は不正のすべてを晒そうとしましたが、ご家老は、そのようなことをすれば菊之助や母親も命はないと脅します。
それどころか、賄賂を受け取っているのは実は父親のしわざだと噂まで広められます。
父親は八方塞がりに陥りましたが、ここで父親はおそるべき作戦を立てます。
作兵衛に父親自らを殺して、帳簿を奪って、遠くへ逃げてくれというものでした。
そして、父親は自分が討たれて死ねば、叔父はおそらく菊次郎を仇討ちに立てると計算しました。
さらに作兵衛には、仇討ちとして菊次郎に討たれてくれ、そして帳簿はご家老から渡されたとうその証言をして、そのまま菊之助に渡してくれと父親から懇願されました。
父親は菊次郎が仇討ちしたとなれば、跡を継ぎ、家門に拍がつき、帳簿の賄賂についての弾劾も説得力が増すと考えたからでした。
作兵衛は当然断りましたが、父親の命をかけた依頼に、しぶしぶ受けざるを得ませんでした。
そして上記しましたように、父親は菊之助を襲ったように見せかけ、さらに作兵衛に討たれると見せかけて自らの白刃で命を絶ちました。
つまり、父親は家族のために、作兵衛に切られるように演じて自殺して、菊之助に仇討ちをさせようとしたのでした。
残された作兵衛の悲しき運命(さだめ)とは?
作兵衛は主人を殺した罪をかぶり、自ら仇となり殺される運命を背負い、菊之助に討たれるまで生き続けることを決心します。
そんな折、仇を討つため江戸まで行った菊之助は、みすぼらいい恰好をした作兵衛に会いましたが作兵衛を討つことができません。
作兵衛はそこで、父親の考えをすべて菊之助に打ち明けることにしました。
そして作兵衛は、家を守るため、菊之助に自分を討つように依頼します。
しかし、菊之助は作兵衛に対して助けてくれた恩義もあることと、仇討ちをしなければ国にも帰れないことのはざまで苦悩します。
そこで立ち上がったのが、木挽町界隈の芝居小屋の面々です。
木戸芸者の一八、立師の与三郎、女形の吉澤ほたる、小道具の久蔵、筋書きの金治がこの二つの矛盾する悩みを解決するべく画策します。
特に筋書きの金治は、菊之助の母親との旧知のなかであり、母からは困ったらこの人に頼めと、信頼を寄せている人物でありました。
まず、女形のほたるが、みすぼらしい恰好の作兵衛に対し、いかにもやくざものの風情に仕立てます。
また金治からの紹介で、賭博に連れていき、賭け事をさせることで、博徒としての人の目を集めます。
更に小道具の久蔵が、作兵衛の本物そっくりな作り物の首を作りました。
これにより、いかにも仇討ちが行われたかのように芝居を打ちます。
この大芝居は見事に成功し、奉行所も血だらけの首を見て仇討ちは成功したと認められました。
こうして菊之助は作兵衛を殺すことなく、家の後継ぎにもなることができました。
その後、例の帳簿を持って、お殿様に提供し、御家老や叔父の悪事が明るみになり、失脚させることができました。
これで真の仇討ちが成ったということになります。
最初は、菊之助が、父の仇として、やくざ者に落ちぶれた作兵衛を討つだけの話かと思ったのですが、そこには大変奥深い事情がありました。
最後は、木挽町の芝居小屋界隈の人たちの義理と人情で、問題をスカッと解決した気持ちのいい話でおわりました。
江戸時代における仇討ちの厳格なルールとは
今回は仇討ちが大きなテーマになっていましたが、仇討ちをするには厳格なルールがあります。
身内が殺されれば、誰でも仇討ちができるわけではありません。
例えば身内であっても、自分より上の父母や兄は対象ですが、妻子や弟、妹は対象になりません。
そして仇討ちをするには、幕府へ仇討ち帳を提出し、みとめられなければなりません。
届け出がなければただの人殺しになってしまいます。
そして仇討ちは、成功すれば国にかえることができますが、途中で止めてしまっても、国に帰ることはできません。
止めてしまったら、国に帰れず、そのまま一生浪人暮らしになってしまします。
更に、仇討ちの成功率はわずか1パーセントだったようなので、よっぽど恨みがあり、成功が確信できなければ、安易に実行するのは難しかったと思われます。
日本で有名な仇討ちとは
日本で仇討ちで有名なのは、曽我兄弟の仇討ち、鍵やの辻の決闘がありますが、なんといっても赤穂事件が有名ですね。
大石内蔵助の赤穂浪士が主君の仇、吉良上野介を討つ話です。
何度も映画化されていますので、知ってる人も多いと思います。
しかし世間へあまりにも影響が大きかったこともあり、赤穂事件からは仇討ち制は廃止になりました。
まとめ
時代劇で、古い言葉もでてきますが、とても分かりやすいストーリーですので、観ることをお勧めしたいと思います。
今日はここまでです。ではまた。


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