これは湊かなえ原作の小説です。
自分は湊かなえファンでもあるので、小説は結構読んでます。
湊かなえといえば、やはりどろどろな人間関係の描き方がとても生々しく、リアルで観ている人の身をえぐるような描写をすることが特徴といえます。
そしてこの「未来」では、出演している小学生から高校生のすべての男女が、なんらかしらの家庭環境に問題を抱えています。
湊かなえの作品の中でも、今まで以上に虐待、いじめ、放火、自殺、殺人等あらゆる要素が絡んでいて、湊かなえの作品の中でもかなり力を入れた部類ではないかと思います。
しかし映画では、原作とは大きく異なりがあり、原作の良さが消されてしまったことがとても残念です。
今回は「未来」の映画と原作の違いを解説したいと思います。
映画と原作の違いを解説
原作の登場人物が大幅に削除されています。
それもかなり重要な人物もです。
原作から消された人物は?
まず、佐伯章子の祖母の樋口絹代です。
この人は、佐伯良太の母親であり、章子は祖母から母親と父親が駆け落ちして、住んでいた町から逃げるように去っていった事実を知ります。
しかし映画ではこの設定がないので、章子は映画の中ではこの事実を知らないままということになります。
そして、森本総一郎の息子の森本誠一郎も省かれています。
原作では誠一郎は良太の友達でもあったため森本家に行くようになり、そこで初めて真珠に出合います。
しかし映画では良太と真珠が学校の同級生として知り合い、良太がいきなり森本家へケーキ作りで訪問するというおかしな設定になっています。
そして映画では誠一郎が4歳の時に海で死んだと紹介されています。
さらに、佐伯章子の学校の教師である林優斗も省かれています。
彼は、章子の母親の佐伯文乃に好意を寄せていましたが、文乃にふられました。
しかし、その後文乃が早坂と付き合うようになり、林は嫉妬心から早坂が経営するレストランをNETで誹謗中傷します。
そのためレストランの経営が傾きますが、その描写も無くなっています。
また、亜里沙の先輩である智恵理も映画では出てきません。
原作ではこの人も亜里沙や章子に影響を与えた人物です。
このように重要とされる人物が省かれているので、実際の湊かなえの小説の内容からは、かなり希薄な感じがしてしまいます。
やはり湊かなえといえばこれでもかというほど、人間関係がどろどろしてるところが特徴であり、特にこの「未来」においてはその要素が、群を抜いて高い作品なのでとても残念なつくりになっています。
中身の省略が多すぎる
例えば、映画では最初、篠山真唯子中心の物語ですすんでいますが、カラオケ用のAVに出演したため、学校にばれて辞めることになりました。
真唯子は大学の授業料のため、祖母から1000万をもらう予定でしたが、母親が突如現れ、相続は自分がするということで、その金を持って行ってしまいました。
普通のバイトではお金が工面できないため、やむを得ずAVに出演しましたが、そのあたりが丁寧に描写されていないため、なぜいきなりAVに出演したか、理解できなかった方も多いのではないでしょうか?
また章子がいじめにあっていて、自宅のポストに亜里沙から会おうと手紙が送られました。
この亜里沙も、映画では突然現れた人物なので、いったい誰?と思われたのではないでしょうか。
原作では小学校のころからの付き合いがあったことが述べられていますが、映画ではそれも省かれていますので、亜里沙が突然現れた感が否めませんでした。
また早坂が章子に対し虐待をしているを文乃も見かねて家からでていきますが、その際、早坂のレストランに火をつけますがその描写もありませんでした。
このように原作で描かれたストーリーの多くが省かれていましたので、本来腹に響くような重々しい描写が抜け落ちているため、湊かなえらしさが消えてしまった作品になったと感じました。
亜里沙と章子の未来はどうなるか検証
章子も母親を売春までさせたの内縁者の早坂をニコチン中毒で殺害後、その後放火することまで計画します。
章子は早坂にニコチン入りのウィスキーを飲ませて、苦しんでいるところ火を着けて逃げました。
しかし私の考えでは、実際にはこの殺人計画はうまくいかないと思います。
その理由は、まずニコチン自体は無味無臭ではなく非常に苦みがあり、ウィスキーに混ぜて飲んでも呑み込めずに吐き出してしまうのではないかと推測されます。
亜里沙の父親もコーヒーを飲んで苦しみだした、しかし放火はできなかったと言っていますが、例えコーヒーの中だとしてもニコチンを入れれば、苦みで呑み込むのはとても難しいので本当に殺せたのか疑問の残るところです。
本当にニコチンで殺害を計画するならば、ウィスキーに睡眠薬を入れて飲ませて眠ったところで、注射針でニコチンを摂取するなら可能ではなかったかと思われます。
ただ主人公はまだ14歳の少女で、タバコを吸う経験がなかったため、そういう知識も欠如していたということでしょうか。
殺害を実施後に放火した後、亜里沙と章子あこがれのドリームランドに行きました。
しかし現実的には、早坂は毒では死にきれず、放火の中脱出できたのではないかと思われます。
放火のあと章子の母親、文乃は章子に「あとはまかせて」と章子を送り出し、ドアを閉めます。
この後文乃の撮った行動を考察しますと、早坂とともに火の中で自殺をするということ、あるいは章子のかわりに放火と早坂殺害の責任をかぶるということの二通り考えられます。
しかしどちらにしても原作では章子は自首するといっていますし、映画では実際に自首して捕まっています。
亜里沙の父親、そして早坂が生きているならば当然報復も考えられるので、二人で描いた未来は暗いものとなるのではないかと考えています。
原作者の湊かなえと瀬々敬久監督との「未来」の世界観のずれ
瀬々敬久監督といえば「ラーゲリより愛をこめて」胸を打つヒューマンドラマを手掛けているっことで知られています。
私の瀬々監督の印象は、とても繊細で情が深い作品を手掛けている印象があります。
「ラーゲリより愛をこめて」は主人公が戦犯で収容された先で病気にり、死ぬ間際になっても家族のことを想う繊細な表現の仕方をみると、とてもやさしい人柄でないかなと感じました。
しかし、この「未来」におきましては、湊かなえ史上一番過激な作品ではないかと、私自身勝手に思っていますが、この過激さに瀬々監督の意識がついてっていない感じがします。
いうなれば瀬々監督の人柄の良さが邪魔をして、湊かなえの表現していた本来の「未来」像が描き切れていなかったような印象をもちました。
それでも要所をおさえているので、湊かなえの「未来」の世界観を期待してしまうと少し物足りない印象をうけますが、最初から原作を見ずに映画だけ観る人でも十分に楽しめると思います。
まとめ
この「未来」は湊かなえ作品の中でもかなりどろどろした人間関係が描かれています。
途中で述べた通り、瀬々敬久がメガホンを取られていて、いうなれば「未来」を瀬々監督の世界観で表現された作品になります。
ですから湊かなえが表現されていることを、少し柔らかくすることであまり過激なならないように配慮したのかなあとも思いました。
湊かなえらしさが希薄になった「未来」については、私にとっては少し残念な気がしますが、それでも初めてこの映画に触れた人でも、十分楽しめる内容だと思います。
今回は以上です。ではまた。


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